クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い~西尾維新はブギーポップ(不気味な泡)なのかもしれない~

この前、戯言シリーズ クビキリサイクル 青色サヴァン戯言遣いOVAを見終わりました。

端的に言ってしまうと、面白かったです。

かれこれ遡ること、10年以上前、原作を読んだことがあります。

しかしながら、私はどうやら小説の地の文、特に情景描写をほとんど読んでいないらしく、今回のOVAで始めて、鴉の濡れ羽島というのが、あんな感じの豪奢な何かであることに気づきました。

豪奢な景色の中を天才達が優雅に時を過ごすという浮世離れした島が舞台です。

そんな環境の島で、物語の語り部いーちゃんだけが、僕は天才でも何でもなく天才の付き人であると謙遜して何かを語っているという作りの話のようです。

 

OVAが結構面白かったですし、実は私、戯言シリーズは第4作目まで読んでいたということを思い出してきたので、作者である西尾維新さんが特集されたユリイカとか対談本とか戯言シリーズ完結の特集本みたいなのを3冊ほど買って読んでみました。

結論から言うと、本当に皆さん、何言ってるのか分からなかったです!

私がそこまで西尾さん自身に興味が無いからかもしれないですけど、西尾さんも言ってる事が面白く無さすぎて退屈でした。

対談って口頭でやるんですかね?筆談じゃなく?

勝手な想像ですが西尾さんは指先に全人格が集中しており、タイピングをすることによってのみその本領を発揮できる人なのではないかと思いました。

ちなみに太宰治は口述筆記の達人だったらしく、彼の口から出てくる言葉は正確で、そのまま書き留めればきちんとした物語として楽しめたそうです。ゆえに、女性にモテたわけですね。

あ、話がそれました。

また、どうやら、西尾維新さんがデビューした辺りの出版界隈の事情的な何かを背景に、いかに西尾維新さんが期待の新人であるかを偉い人が分かりにくい文章でああだこうだ言っているようなのですが、そんなことは10年以上昔のことであり、今となってはもはやどうでも良いんじゃないのこれ?という何かで、西尾維新さんがどうして戯言シリーズみたいなイカれた小説を生み出すに至ったかのヒントなんてこれっぽっちも書かれていませんでした。

何かこういう訳の分からないことを言う大人と対談しないといけないなんて、作家というのも大変な仕事なんだなと読んでいて疲れました。

例えるなら、サイズの合っていない靴を無理やり履かせて、ほらぴったりでしょ?としたり顔で言っている大人と靴を履かされて無表情でいる子供という感じでしょうか。

自分達の文脈を知っている若者かどうかを試すような言動って見ていて不快以外の何ものでもないですね。

知らない人にも分かるような物言いを心掛けるよう努力し続けることが困難になった大人なんでしょう。

唯一、これらの本で、西尾維新さんが京極夏彦さんに多大な影響を受けたことと、荒木飛呂彦さんのジョジョシリーズが大好きなことが分かったのが救いでした。

そして、私にはよく分からないので、私に(だけ)よくわかる言葉で言い表すと、西尾維新さんはおそらく、ブギーポップ(不気味な泡)ですね。ブギーポップを知らない人は勝手にググってください。

僕は自動的なんだ、というブギーポップです。

世界の危機をきっかけにして無意識下から自動的に現れるあいつです。

「死神」で「世界の敵の敵」のあいつです。

分からないのでもう少し違う表現にするなら、妖怪で言うと鵺ですよ。

知らない人にも分かるような物言いを心掛けたいものですが、自分でもよく分からないと思った結果、こういう結論に早々に達したということなので許してください。

西尾維新さんが対談している内容を拾ってみると、小説の形式に興味があって、先に主張したい何かがあるわけではなく、自分は職人的に文章を書いているということだそうです。

というわけで、西尾維新さんはその性質上、読者の主張を反映する鏡であり、器を提供する職人であり、その器に読者が思い思いの主張を入れて物語を完成させるというような何かなのかもしれません。

なので、主張したいことが何もない読者が西尾維新さんの本を読んだところで何も感じないということもありうるんじゃないかと思います。

西尾さんの物語を読んで何か深いものが書いてあるような気がするのであればそれは読者自身が天才で深い思考の持ち主ということなんじゃないでしょうか?

 

ところで、この物語の語り部いーちゃんは、かなりとち狂った人のような気がします。

現実世界にはここまでとち狂った人は存在するかもしれませんが認識できないので、見ていて安心感がありますね。

戯言シリーズの後の物語シリーズはアニメだけしかみていないのですが、あちらの主人公の阿良々木さんのことはあまり好きになれないというか全く好きになれないので、いーちゃんが現状好きすぎて困りますということになります。

どこが好きなのかって?それはもう狂っているところ以外のなにものでもありません。

私は↑で西尾維新さんが影響を受けたという京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズの語り部関口巽を心の底から愛しているのですが、天才の中にあって彼だけ何だか冴えないという構図は似ていますね。美少女を押し倒したことがあるという過去も。それも愛しさからではなく破壊願望で。

関口君は押し倒したことをある事件が起こるまでは忘れていたのですが、いーちゃんは何事も無かったように美少女と一緒にいるというところに若干の恐怖を感じますね。

彼らは美少女を破壊した後どうしたいんでしょうね?単に壊したいのか、壊すことで本来所有できないものを所有したいのか。

たぶん、関口君といーちゃんではその意味するところは違うと思います。なんて、今日も適当なことを書きましたね。

 

最後に何で私は西尾維新さんの書く物語にあまり魅力を感じないのかということをよく考えてみたら、出てくる美少女が全然私好みじゃないということに思い至りました。美少女にはもっと切実な何かで涙を流してほしいのですが、最も切実で透明なのが、いーちゃんであるという部分からして報われない物語であるな、と思う次第です。