今年見たアニメまとめ

今年も、(誰に頼まれるでもなく)今年見たアニメをまとめる時期になりました。

 

  • あんハピ

OPの曲に中毒性があります。実は10回くらい見ました。不幸を呼び寄せる体質ながらも不幸に負けない少女達の日常という冒険譚です。特に、工事現場の看板に一途に恋する雲雀丘さんは健気ですね。部屋だけでなく、外出先でも雲雀丘さんを見守ってくれて、危険な場所には立ち入らないよう注意を喚起してくれる紳士です。惚れない方がおかしいでしょう。また、チモシーという学園を守るなぞの生物が出てくるのですが、ごちうさのティッピー的な無害マスコットキャラ的な何かではございません。

 

何がツボって、斉木さんの性格ですね。私の感想なんかで何かを表現できるとも思えない味のある性格なので、是非、アニメや原作の漫画を読んで欲しいです。斉木さんのような天才に生まれてしまうと、世の中の大半のことがくだらなく感じてしまうと思うのですが、その斉木さんのアンテナに引っかかってくるおかしな人達というのがいるわけで、そういう人達との絡みから斉木さんも何かを感じるのでしょうね。

 

昨今(このブログ)にしては珍しく、全話の感想を書きました。その時に、書き忘れたのですが、各場面の繋ぎ方が唐突と言いますか、それが夢のようでした。夢のような、なんて表現をすると、奇跡とファンタジーに心ときめかせる様を表現しているかのように誤解を招くと思いますが、そういう意味までは含有しておらず、場面の繋ぎ方の技巧として夢のような形式を取り入れており、それが奇跡とファンタジーに繋がっていてもおかしくないという意味であります。って、あれ?結局、さっき否定したはずの意味も含有していますね。夢というのは往々にして走馬灯のようなもので、駆け抜けるように秋ちゃんの笑顔が12話分収録されておりました。それは死の間際に見る解離現象としての走馬灯でありながらも、アニメという手法を取った原義的な意味での走馬灯(=回り灯籠)でもありました。

 

冴えないのは彼女ではなく、主人公でしたね。この物語に主人公は必要でしょうか?

 

コタロウさんは主人公でした。コタロウさんの真剣さに泣きました。彼無くしてこの物語は成り立たないのでしょう。

 

見終わってしばらく経つと、クールな主人公より、ヘタレで役立たずの王子の方が思い出しやすいです。このアニメも夢のような気分を味わえるのですが、この場合の夢とは、走馬灯とはまた別の夢です。心が静かに落ち着いてくる感じですね。瞑想の際にあらわれる脳波と同じ脳波をこのアニメを見ると発生させることができるに違いありません。

 

ダメな閻魔大王の側近として働く鬼灯様のお話です。組織の長は往々にしてダメな方が良いのではないか?むしろ、閻魔大王はわざとダメを演じて、組織の健全な形を守っているのではないか?と感じさせてくれるアニメでございます。やはり、地獄なんていう地の底の組織を統括するには、そういった聡明さが必要なのでしょう。何でも真面目に正論を通してやればいいというものではありません。そんなのは、天国とかいう皆が皆、善人の組織で行えば上手くいくモデルです。地獄ではそれは通用しないのです。

 

シャフトの映像美に感動しました。画面が美しいというのはどんな内容であれ、すべてを良く見せてくれますね。それが例え、猟奇的で理解不能な殺人事件であっても。