車谷長吉

氏の全集が出るのだとか。生前に全集を出すのが氏の願いだったようなのでおめでたいことだと思います。


けれど、目次を見ますとほとんど全部読んでしまったものばかりだったりします。それは、まあ、当たり前です。


単行本や文庫本になったものは端から全て読んでいるので、そりゃこちらの都合というものです。


俗人の私が俗っぽい思想の元に、文学とか、氏の文士としての仕事内容を一切考えずに、氏の良い所をひとつだけ挙げるとしたら、それは徹底した自己本位という所なんじゃないかなと思います。自分を位置づけるために他人のことをよく知っていますが、だからといって他人のことを思いやっている訳じゃないといいますか…。


こんなこと言ったらちげーよ!!とお叱りを受けそうですが、今現在はそんな風に感じられます。うーん、違うかな?細かく一つ一つの物語を思い出していくと、そんな気はしないのですが、全体の印象を考えるとそのような気がしてきます。


けれど、『古代の少年のミイラ』が発する言葉なので、超凡人的生活をしている私が体感している価値観で、氏を評価するのは、実際のところ不可能なのではないかと思います。つまり、私の意見にちげーよ!!という人は私とは違う価値観で生きており、その人なりの車谷像があるのでしょうが…って妖怪の獏とか鵺みたいな話の様相を呈してきましたが、氏の全集を読むとあーでもないこーでもないと色々考えることが出来るかもしれません。


氏は「人が人であることの悲しみ」を表したいそうなので、題材にはセンセーショナルなものも含まれています。


けれど、そのセンセーショナルな話題に対して世間で言われているような価値観や「実際にはこうだ。こいつは事実と異なることを書いている」ということを前提とせずに接すれば、「古代の少年のミイラ」の言いたいことが何となく分かるのかもしれません。しかし、それは「古代の少年のミイラ」が言いたいことであって、氏の思っていることではありません。ややこしいです。みたいなことを延々と考えたい人にはおすすめの本ではないかなと思います。


ただし、仕事や学業がうまくいっていないと潜在的に感じている人にはおすすめできません。たぶん。