香織さん

車谷長吉さんの小説『忌中』の中の「神の花嫁」の中に次のような文章があります。


ある日、西武百貨店池袋店で創作人形店が開かれているのを見た。展示即売会である。その中で麻生やや制作の裸の少女人形に心惹かれた。人形はあらかじめ死者である。人間はこれから死んで、腐敗するか、灰と骨になるかだけである。そこに人形の色気がある。麻生ややの少女人形は、その死者の輝きを表現していた。値段は十九萬円。貯金を全部はたけば買える。私は即座に求めた。
少女人形は磁器人形だった。また、頸、肩、肘、手首、足の付け根、膝、足首の関節が人間と同じように曲る関節人形だった。江戸小絞の御召縮緬の着物が一着付いていた。併し、長襦袢も、しごきも、帯も、帯揚げも、帯締めも、足袋も付いていない。裸体に御召をまとっただけの姿だ。だから着物を剥がすと、すっぽんぽんだった。女陰はない。毛も生えていない。私はこの冷たい死者に「茉莉子」という名前をつけた。そして昼は愛撫し、髪を梳き、夜は裸にし、抱いて寝た。赤木は生身の茉莉子の裸体を抱いて寝て、互いにさわり合いをしている筈であった。
私は近所に買い物に行くにも、酒を呑みに行くのも、どこへ行くにも茉莉子を抱いて行った。ある日曜日、会社の仕事を手伝ってもらっている某編修プロダクション社長・春川晃夫の家へ遊びに行く時、抱いて行った。新宿区中井の春川の家へ着くや、春川は変な顔をした、そして茉莉子の着物の裾を捲って、股ぐらを覗いた。帰りに西武新宿線中井駅のプラットフォームに立っていると、東京大学西洋美術史教授高階秀爾が、私の抱いている茉莉子の顔を覗き込んで来て、私の顔をしげしげと見た。
その夜も、私は人形の茉莉子を抱いて寝た。


「人形はあらかじめ死者である。人間はこれから死んで、腐敗するか、灰と骨になるかだけである。そこに人形の色気がある。」

この部分は私も何となく同意できます。きっと城ヶ崎氏も潜在的にそう思っているに違いありません。

生身の女の人と香織さんを同じ秤で量っている主人公には届かない存在なのですよ。