新世紀エヴァンゲリオンでも見よう

何回も見たのですが、もう一度真面目に見てみようかと思います。

小学生の時に友達の男の子に「エヴァ見てないなんて人生の半分は損してる」

と言われてから10年後ぐらいに初めて見ました。

だって私の実家はテレビ東京の映りが悪くて、常にカラフル砂嵐に微妙な音声なんですもの。

本屋さんにおいてあった怪しい流行ものの本を横目で見つつもずっとスルーしてたのです。

そして、自発的に見たのではなく、我が師匠に強制的に見せられました。

と言うか、師匠の部屋に初めて行ったら、何の説明も無く、アスカが風呂釜に入っているシーンから見せられました。私は慌てました。こいつはやばい人間だと思いました。よりによってなんでそんなシーンから見せるのでしょうか。状況説明も何も無く、虚ろな目の女の子が廃墟チックな場所にある風呂釜に入っていたら、何か別の事件を想像してしまいます。(私が最初に想像したのは当時問題になっていた拒食症でした。)その日は、胡乱な師匠の説明に胡乱な私の頭は付いていくことはできず、エヴァンゲリオンのコミックをどっさり持たされて、部屋を追い返されました。


師匠「これはさ、アスカ。アスカ。分かる?」


私「え?うん…え?」


簡潔にアスカの説明をした後に、カヲル君について熱く語る師匠。よく分からずに画面の向こうの鼻歌を歌う少年を見つめる私。どうやら、師匠はカヲル君が大好きらしく、そのDVDが一番手に取りやすかったらしい。(師匠の部屋は塵屋敷である。)


最近のオタク事情は知りませんが、昔気質のオタクというのは厳しいのです。一般人に歩み寄ろうなんてしません。一般人にダメージを与え、弱ったところにさらに一撃を加えるのです。おそろしいです。

そうして、コミックを読んでみたら何だか普通に面白げでした。そしてすぐに内容を忘れました。そして、何故だかDVDを借りてきて一から見てみることにしました。無論、普通に面白かったからです。

そして、第7話くらいまで見たところで、何とはなしに師匠とはまた別の人にエヴァンゲリオンを観ているところなのだという話をしました。そうしましたら、何となく話したのにその人もエヴァンゲリオンを知っているではありませんか。もうね、どういうことだいと、私はそんなに世間から遠い生活をしていたのかい、と思いました。

どうやら私の世代の男性諸君はだいたいの人間がエヴァンゲリオンを一度は視聴しているようです。

このまえ、破が上映された時、ローソンでクリアファイルが売られていた?と思うのですが、やっぱり、また別の男性がそのクリアファイルを持っていました。別に見せびらかしていたわけではなく、鞄からちょいと覗いていたのですよ。あのファイルは師匠によるとすぐに無くなってしまったと聞きました。隠れたエヴァンゲリオンのファンというものも存在しているようです。また、別の男性は、無意識にメールの文面がエヴァンゲリオンの中に出てきた台詞になっていたことがあります。また、別の男性には綾波レイの系譜的な話を聞きました。

つまり、私の世代の男性諸君にはある種の宗教めいた存在であるようです。ちょっと書いてて怖くなってきました。エヴァンゲリオンを敵に回さないようにしよう。

ああ、どうしよう。いつものごとくてきとーな戯言を第一話から見ていって書くつもりでしたが、それはかなり危険であることを自覚しました。

私ももっと早くエヴァンゲリオンを見ていたらとても嵌ったかもしれません。ただ、遅すぎたんです。

エヴァ見てないなんて人生の半分は損してる」ってのはあながち間違いじゃないのかもしれません。

文学なんてのもそうですが、それを見ておくべき時期というものがある気がします。

私の読書経験では、綾波レイじゃなくて、ブギーポップの織機綾が先なんですよ。

たぶん、綾波レイを元にしたキャラなんだと思いますが、先にそっちが頭の中にあると綾波レイが私の中の唯一の天使ということにはならないんです。

だから綾波が先だったらどんなにインパクトが強かったろうと思うんですよ。

それに、ブギーポップを読んだのは中学生の頃でしたが、エヴァを見たのは大学生になってからですよ。

すでに感性がさび付いてます。そんな状態で何か物事が分かるはずないですよ。

だから、その作品に出会う時期というのも大切なんだなと思う次第です。

一応、これからエヴァの感想らしきものを書いていくかもしれませんが、私の感性はすでに衰えており、十代前半もしくは幼少のみぎりに視聴されたファンの皆様のすばらしい感性による感じる力には到底及ばないので、ファンの人はもし私が変なことを書いても怒らないで下さい。大人は寂しくて阿呆なのです。