読書 「本は読めないものだから心配するな」

何でこの記事が「小説」というカテゴリーなのかはまあ置いておいて、テーマを作るときに「文章」かなにかそんなものにしておけばよかったなと今更ながらに後悔する。

題名の通り、「本は読めないものだから心配するな」という本を買った。さっきの古本とはまた別物である。

このブログの愛読者様(実質0に限りなく近いであろう。読者様はいて下さるかもしれないが、愛して下さっている方がいるかは大変に怪しい)は、ご存知のとおり、私は本の読めない人であるばかりか、書く文章も稚拙極まりなく、もう少しで人間を辞めてしまいそうな人である。人間失格、人間辞退、人間免許剥奪…何だかそういう感じである。社会性も人間性も無い。頭もすこぶる悪い。そんな私が、縋るように買ったのがこの本である。早く人間になりたい。人間になるためにはまず、人間の言語を獲得せねばならない。一応日本語らしきものは幼少のみぎりに会得していたので、後は人間の言語で書かれた知識を吸収する必要があるだろう。まあ、色々すっ飛ばして、私はとにかく本を読めるようになりたいのだが、この本の作者は「本は読めないものだから心配するな」と私を慰めてくれるらしい。

一ページ目から何やら凄い事が書いてある。人間は無知らしい。無知だから一生懸命に本を読んで知識を獲得しようとする。それは納得である。

二ページ目、ニーチェは「私」「と」「世界」といったような比べ物にならないものを並べて書く「と」という表現を見て大笑いしたらしい。私は既にこの事実を知らない。なんともびっくりした。さらっと前提知識の如く書いてある。なるほどと思った。

と、このように2,3ページづつ感想でも書きながら読み進めなければこの本を読み終えることができないような気がしてきた。

「本は読めないもの」という本を読んでいるという矛盾はさて置き、この本を読まなければ心配は無くならないので仕方なく一生懸命読むことにする。


それにしても11月に入ってからブログの更新頻度が凄い。一体私に何が起こったのだろうか。

答え:アニメが3話を過ぎようやく感想を書ける状態が整ったから。

今期は見ているものが多すぎて私は一体何のためだか知らないがアニメの感想ばかりを一生懸命書いている。

イカ娘、荒川、それ町などもチェックしているが、感想を書く時間が無い。別に誰かに書けと要求されているわけでもないが、みっちりきっちりしていないと何だか落ち着かない性質である。といいつつも、WORKINGは2,3話しか感想が書けていなかったりする。みっちりきっちりうっとり。