関口先生②

川赤子でも読み返そうかーと思ったわけですが、昨日は眠くて寝てしまいました。


寝てしまえてよかったのかもしれません。画面の中の可愛い女の子(瀬戸の花嫁とかみなみけ辺り…)を目で追う方がよっぽど健全です。


よく考えてみれば私自身が関口です。いや、私自身に面白さのスパイスを振り掛ければ関口先生です。


「それは当て擦りか!」と「コミさんは萌え萌えキャピキャピであろう?」なんて台詞はある意味で同種の言葉であります。理不尽に怒りすぎってやつです。普通そんな反応しません。


魍魎の匣の最終話「久保になってしまいそうだ!」が視聴当時面白かったので見直したのですが、何か私の気分のせいでいまいち気分が盛り上がりませんでした。しかし、「嗚呼、生きてゐるッ!、何だか酷くッ!男が羨ましくなってしまっタッ!!」は面白くて三回見直しましたが…。




追記


京極堂自身に憑き物がついたりしないんでしょうか?つかないのなら京極堂って人間じゃない?そもそも、京極堂に憑き物がついたら話の構造が破綻するから絶対に無いでしょうが。いつも大変になるのは関口の方。水戸黄門のうっかりハチベエが必ずうっかりするのと同じですよね。水戸黄門が突然極悪人になったりしたら、きっとすごいクレームが殺到するのと同じで、京極堂が憑き物に憑かれたりしたら一大事です。安心安全すっきりきっちり。じゃないと、日常に戻れなくなりますからね。日常に戻れなくなる効果のある話を公共の電波に乗せるのは殺人と同じくらいに罪が重いですよ。世紀末からかなり時間が経ってるのに未だ戻れてない人が周りにはたくさんいますからね。ちゃんと今度は憑き物落としできるんでしょうか、あの話作ってる人は。




追記の追記


アニメ版の最終話の花火ですが、あれは見てて「なんじゃこりゃー!」と視覚的に日常に引き戻してくれるので、重要なファクターだと思ってますです。話の内容をいまいち理解できなかった人でもあれ見ると我に返りますからね。「なんだったんだ、これはー!」と。「なんだこの糞アニメは!」となって忘れてもらうのが一番だと思います。中途半端に映像効果だけで惹き付けられ続けて、何故惹き付けられるのか分からないのが一番まずいです。内容と映像の乖離が一番まずい気がします。そういう意味で、私は千と千尋の神隠し崖の上のポニョが嫌いです。映像も素晴らしいし、内容も素晴らしいのですが、組み合わせが最悪だからです。どちらかが少しでも劣っていれば、すぐに気がつくし、惹きつけられる事も無いので問題無かったのですが。