責任を伴う偽善と責任を伴わない偽善

端的に言うと責任を伴う偽善とは、金を貰って行う偽善。責任を伴わない偽善とは、金を貰わずに行う偽善。

私は責任を伴う偽善しか行いたくない。

だから今日も私は仕事をする。


(追記)

twitterの話。本来こういうことはここでは書かないようにしているけれど、何だか凄くもやもやしたから書く。

フォロワーの中に家族からの連絡が取れないと言っている人がいる横で、皆さん、ヤシマ作戦にご協力ください!!とまるで祭が始まったかのように呟く人を見かけた。ニュースを見てだんだん落ち込んできた、と発言し、まわりから慰められていた。

本当に慰められたい人は誰か?

その人は昨日は一日、責任を伴わない偽善を行っていたようだ。

家族と連絡が取れないと言っている人とヤシマ発言の人はリアルの知り合い。

0,1世界の情報について考えさせられる。情報の量と質。0,1世界を通した情報は、一度プレーンな状態になるのだろうか。だから、アニメの情報も現実の情報も同じ次元として受容されかねない。

いや、0,1世界じゃなくても、そういう人はリアルでもそういうことをするのか?

あれだけ、私にエヴァンゲリオンが嫌いと言っておきながら・・・。

誰が誰か分からない2ちゃんねるでそういう発言をするのはまだ良い。高みの見物をしているんだろうくらい。けれど、twitterという半匿名でしかも現実の知り合いが困っている横での発言。デリカシーが無い。その発言を見て私みたいに嫌悪感を感じる人間だっているだろう。そうすれば、それだけでその人にとってはデメリットだ。

しかも、その発言が半永久的に全世界に残る。

うそはうそであると・・・とかつて匿名掲示板を使うときの心得を西村さんがいったけれど、人の気持ちを察することが出来る人でないと半匿名のtwitterを使うのは難しい気がした。ヤシマ作戦どうこうは本来はチラ裏レベルの発言。

ヤシマ作戦発言の人も早く責任を伴う偽善が出来るようになれることを祈る。責任を伴わない偽善ばかりやっていても自分に本当に必要な力が蓄えられない。人を助けることは大切だ。けれども、本当に人助けが出来るのは、それぞれの分野の専門家。金を貰って責任を果たしている人々だと私は思う。