平均と実態、本音と建前

テレビとかネットとかそういうものを通して世の中を見ていると、ついつい「平均」に目が行く。

けれども、「平均」というのは「実態」ではない可能性がある。

1と2の平均は1.5だ。上京区の中村さん家には炊飯器が1こ、上京区の佐藤さん家には炊飯器が2こ。上京区には平均1.5この炊飯器が存在します。といったって、実際に1.5この炊飯器で飯を炊いている家庭が存在するわけでは無い。

現在東京では震災津波の影響で花見が自粛されています。と一口に言っても、その背後にある各人の思いは様々だ。

痛みを分かち合わなければならない、自分たちだけ楽しむのは気が咎める、非難されるのが怖いといったメンタル的なものから、自粛ムードに乗じて、めんどくさい社交辞令的な花見は中止しよう、あるいは、コストカットで花見は中止しよう、というケースまで、想定しうる状況は様々だ。

現実というのは平均では語れないし判断もしてはいけない。

けれども、人の習性として「平均」が気になり、自分の仕事や専門性に関係しない部分に関しては「平均」によって判断を下し、世の中が回る。それは、そういうもんである。どうにもしようがない。最も合理的で最も活動しやすい考え方である。昔からある言葉で言うと本音と建前である。建前という平均で世の中がスムーズに回る一方で、人には本音というものがある。

平均と実態は違うのだということを忘れず、頭のどこかにおいておかなければ、第三者に心無い言葉を浴びせてしまうかもしれない。

ちなみに、萌えアニメとエロゲとアイドルに関しては建前という様式美を守らなければ、修行が足りんということになるらしい。昔やっていたお習字の稽古とかピアノのバイエルとかそういうのを思い出す。日本の伝統文化には形稽古というものがある。もしかしたら、パンチラをしない萌えアニメに対して憤りを感じるのは、そういうものへの敬意の念があるからなのかもしれない…。


これにて一件落着。