夫婦

言葉の通じ合わない男女が夫婦になると悲劇が起きる。

何故なら、人というのは言葉に生きているからである。

身体や習慣が通じ合うというのは大切なことであるが、

それは夫婦生活の初期においてであって、

その後の長い連れ添いの期間を埋めてくれるのは言葉である。

投げかけた言葉が相手の耳の傍をかすって壁に当たって落ちるようであっては長い付き合いは望めない。

そういうことに気付かないまま夫婦になった男女の間に子供が生まれたとすれば、その子供は不幸である。

会話というものを体験せずに大人になる。そしてまた、会話のできない伴侶を得る。

しかし、世の八割はそういう言葉の無い夫婦でできている。そういう意味においては猿の夫婦と同じである。

かの有名なサザエさん一家であっても、フネと波平、サザエとマスオの間に、本当の意味での会話が成り立っている描写は皆無である。