赤目四十八瀧心中未遂~映画と原作のアヤちゃん~

ここ最近、私の中で車谷長吉さんがブームです。今日は、『赤目四十八瀧心中未遂』に出てくる「アヤちゃん」についてちょっと考えたことを書いていこうかと思います。


アヤちゃんから受けるイメージは原作と映画では少し違う気がします。どちらかというと原作の方が幼いイメージです。例えば、映画では生島さんと動物園に行って見たい動物は「カバ」ということになっており、「水ん中をうんこしながら走るんよ。そのうんこをちっちゃい魚が食べるんや」「おいしいよってあんたも食べなさい」という台詞になっています。一方、原作では「駝鳥」ということになっていて「こんな大きな卵産むねんよ」という台詞です。


また、映画ではアヤちゃん役の寺島さんが生島さん役の大西さんより三つ年上です。しかし、原作ではアヤちゃんが二十四、五。生島さんが三十四ということになっています。生島さんがアヤちゃんに向ける視線も原作では「自分の手を引いてどんどん先に行ってしまう女」に対する恐怖の他に慈しみのようなものを感じます。


私はどちらのアヤちゃんもそれぞれにきらきらしていて好きです。


それにしても、映画も7年前になるんですね。時の経つのは早いです。いつの間にか私もアヤちゃんの年齢に追いつきそうです。


この『赤目四十八瀧心中未遂』という作品は映画であっても原作であっても、現在は見ること自体が辛いと感じるようになりました。所々を思い出したように見るだけです。


大人になって自分の生活を自分でコントロールできるようになり、何かの核心に触れるようなものからは敢えて目を背けて生きるようになったんだろうなと思います。


大人になっても過去の因縁や周りの人間から逃れられない。けれども、自らその因縁と向き合うことにしたアヤちゃん。こんな悲しい女が現実にいたら嫌だなと思います。現実の女はもっと逞しく汚く浅ましくあって欲しいものです。(あ、でも、表面的には清楚でいて下さい。)車谷さんのほかの作品に出てくる女は浅ましいし、残酷で実に人間臭いのですが、このアヤちゃんだけは童話に出てくる不幸な美少女のようで異色の存在です。


赤目四十八瀧心中未遂』が直木賞を受賞した一つの要因はもしかしたらアヤちゃんかもしれないなと思います。




そういえば、アヤちゃんのことだったか、賞を受賞した寺島さんのことだったかを誰かがシンデレラに例えていたようないなかったような…。


シンデレラでも良いけれど、どちらかというと私の中では人魚姫という印象です。