骨董とかその辺

NHKのオンデマンドに白洲正子が愛した何とかというパック動画があったので何となく見てみた。白洲先生の小説は拝見したことが無い。読んだことがあるのは「白洲正子の世界」という平凡社から出ている写真入で骨董やら庭やらが紹介されている本だけだ。

今回、動画を見て思ったのは、白洲先生は、故郷と呼べる場所をお持ちではなかったから、日本中の隠れ里を旅したり、骨董を集めなければらなかったのではないかということだ。

まだ、三本の内、一本半しか見ていないので違うかもしれない。

番組の冒頭で白洲先生の文章を朗読していたが、その中で、私の故郷をあえて挙げるとすれば、富士の裾野であろう…というようなもの(文章は正確でない)があった。よく分からないと思った。私などは、実家の庭のかえでの木の下の大石だとか畑と田んぼの間の斜面だとかそのあたりが私の場所だという思いがあるので、富士山の裾野なんて雄大すぎるし、雄大すぎて逆に故郷だなんて思ったりしない。

だいたい出てきた動画も富士山をヘリコプターから撮った動画なので余計にそれは無いだろうという思いにかられた。白洲先生もまさかヘリコプターに乗ったときにあの辺りは私の故郷だなんて思った訳では無いだろう。

何だかそういうところが悲しいものを背負い続けてきた人だなと思った。そしてきっと、そういう行動の根源にある悲しい出来事を白洲先生は文章にはしていないのだろうと思う。

白洲先生関連で、私は青山二郎の本も持っていることを思い出した。急にもう一度みたくなったのだが探しても見つからない。この青山二郎という人は何かしているようで何もしていなくてそういうところが良い。二郎さんのベランダの写真をもう一度見たい。あれは何だか凄かった。