語らない女

イケメンというのは良くない。なぜなら女に語らせるからだ。
「きゃー、○○さんかっこいい!」とか「私にその棒を頂戴!」(○○さんが舐めたペロペロキャンディについていた棒のことである。他の棒を想像した方はエロ創作物の見すぎである。)
とか要らぬ事を語らせてしまうからである。第三者から見てそういうことはどうでもいいし、むしろうっとうしいのである。
逆にいけてない面の方の前では、女は無口で伏目がちになる。
その様子を見た男性は「奥ゆかしい方だな」という感想を持つ。
つまり女は自分の矜持を保つ為にも男を顔で選んではいけないのである。
男の方も、女に会うときは3日くらい風呂に入らずに出かけると良い。
女はハンカチか何かで鼻を押さえているので、彼女のべちゃっとした鼻を見ずに済むからである。
たとえ女が超絶美人であったとしても、超絶美人の鼻から鼻毛が出ていたらがっかりするだろう。
そういう失望も防げるのだ。
そしてこういうことばかりを言っているこのブログの中の人は今日も一人寂しく夜を過ごすのである。
こういう文章は誰も得をしない。「外見ではなく中身が大事ですよ」とか言っておけばいいのだ。
それに世の中というのはもっと可能性に溢れたものだからだ。人はそういうものを目指して生きるべきであるとクズの私でも思う。

最近の長吉ちゃんは本当に世の中に失望してしまったかのようである。漱石みたいなことを言い始めた。新聞連載とかまだやってるのだろうか。お悩み相談も全集も誰得なのでやめた方が良い。長吉ちゃんは「恥」というものをスパイス程度には持っていた方が良いと思う。でなければ、テレビでやっているバラエティ番組と同じである。そういうくだらないことをやっていたらそのくだらなさのせいで死んでしまう。長生きできない。
ここでこうやってついつい長吉ちゃんについて語ってしまうのも、長吉ちゃんが男前でなおかつ風呂に入らないという素敵過ぎる人だからである。伏し目がちになるが、やっぱりじっと見ていたいくらいの男前だからである。長吉ちゃんのことに言及した日には涙が出る。自分自身に言葉が返ってくるからだ。

しかし、話を本題に戻すと、本当に良い女というのは自分や物事について語らない。語ったとしても言葉を選ぶ。言葉を語ること自体が業の深いことだと知っているからである。語らない女とは長い付き合いが出来る。度量の小さい男性はそういうよくできた女の人を選んだ方が良い。面白いからといっておしゃべりな女を選んではいけない。彼女が面白くないことを言い始めると地獄の日々が始まる。
などと言ったが、私個人としては、イケメンについて熱く語る人でも何でもオールオッケーである。私はわりと三次元の女の人も愛しているのである。けれども実在している人をとやかく言うとやはり相手を傷つけてしまう恐れがあるので、二次元美少女にしか言及しないのである。つくづく、日本は二次元が発達した国で良かったなと思う。