魍魎の匣

何か、アニメの13話見ていたら、色々書いておきたいことが…。

人間頭だけで得た情報ってのは、あんまり強く印象に残らないことが多い気がします。

普通人間は、身体という容れ物を通して、情報を得ます。そして、得られる情報というのは身体に強く制約されます。

遠距離恋愛が上手く行かないのは人間同士の情報のやり取りが身体に制約されているからです。

遠距離恋愛を上手くやれる人は、理性による思いが強いのでしょうか。ちょっと分かりませんが。

カントの純粋理性批判とかが絡んできそうな感じですが、私はそれを読んだこと無いので何ともいえません。

私は割りと頭でっかちな人間なので、私の感覚で物事を考えていると世間との感覚のずれに悩むことになります。私の場合、感覚で物事をとらえちゃダメです。理性を働かせないと…。

世の中の人は、身体を重要視する人の方が多いんだろうなというのを前提に色々考えていかないといけないなと思った次第です。

と、美間坂(自然科学)を批判する京極堂(人文科学)を見て、思いました。

自然科学は、人間の身体(心)を離れても理性(頭)のみで成立可能なもの、人文科学は人間の理性(頭)と感性(身体、心)が無ければ、成立不可です。京極堂の言葉は、人文科学の理論を元に発せられています。京極堂自身は頭でっかちで身体なんて無いに等しい人ですが、非常に想像力に長けていると思います。理知的です。逆に関口先生は感覚的過ぎます。

身体を離れた電子の世界が今後益々増えれば、学問体系自体も変わってくるんでしょうか。

機械の身体を手に入れることに抵抗の無い人間が増えたり?

今は、二次元好きはマイノリティですが、いずれマジョリティになったり?

男女の身体差がますます重視されなくなったり?

でも、結局意識が人間の全てじゃないという京極堂の言に則れば、身体を離れた情報ってのは、ただの文字列に過ぎないんですよね。

意識を身体から機械へ入れ替えたら、それは人間の意識ではなくて、機械の意識になっちゃう。人類の滅亡です。

二次元好きがキモイと言われるのは、身体の無いものへ愛情を注ぐという行為が、身体を通して物を考えている人からすれば人間らしくない行為として映るからでしょう。

けれども、二次元を好きになってしまったのにはそれなりの理由があると思うので、それ自体を否定なんてしてはいけないと思いますし、二次元を好きな人もその辺よく注意して、身体を通して物事を考える人とお付き合いをしていくべきなんじゃないかなと思ったりしました。