最近

最近、結婚しろしろと周りがうるさい。

アニメを見るのも憂鬱なくらいにうるさい。

なぜ、そんなに結婚させたがるのかわからない。

余計なお世話というやつである。

親でもなんでもない人間がどうしてコミさんを結婚させたがるのか謎である。

だからといって、縁談を持ってきてくれる訳では無い。

その人が私と結婚したがっている訳でもない。

その人たちは既婚者である。

結婚することに幻想を抱いて結婚してしまった人たちである。

だから、結婚した後に幻想に気づいても気軽に過ちを認められない立場にある人たちである。

だから、彼らはコミさんにも結婚して不幸になって欲しい訳である。

結婚するのには300万用意しなきゃいけません、などと言い始め、俺は300万用意したんだえらかろうと暗に自慢するのである。

世の中金を稼いでいる奴が一番偉いとでも言いたげである。

まあ、そこの部分は認めよう。金が無ければ水も飲めない世の中である。水を飲むためだけに小奇麗な布を着てカイシャとかいうところに行って金を貰わねばならない世の中だ。小奇麗な布を買うにも金がかかる。水を飲む金を得るだけのためにそれまでの過程でずいぶんと金がかかるのだ。

そういうシステムの中でコミさんも暮らしているので、金を持っている奴が偉いということはよくよく知っている。

けれども、コミさんはそういうシステムにて暮らすのは最小限で良いと思っている人である。

そのために、連休中やクリスマスや年末年始は苦しい思いをし、痩せ我慢をする訳だけれど、こればっかりは譲れないのである。

世の中金を稼いでいる奴が一番偉いが、稼いだその金で結婚式を挙げるというオプションはコミさんには必要ないのである。

金を掛けたからその分だけ、頑張りはするだろうけれど、金の価値以上に頑張れる気がしないのである。

300万で旦那を買う訳である。それが本来400万の価値がある旦那だったとしても、300万で済めば、コミさんは後100万分は頑張らないだろうことが容易に想像できるのである。

金を中心にものごとを捉えるようになるのである。

旦那と結婚したのか300万と結婚したのか分からなくなる。

そうであれば、結婚なんてものに300万も掛けるのは馬鹿げているのだ。

300万以上に得るものがあるらしいが、うちの親の300万溜めたエピソードを聞く限りそうとは思えない。

300万は300万である。300万以上に価値があるなどということをいう人は金と結婚したということを認めたくないだけである。

その代り、葬式代は1200万溜めるつもりである。死んだあとのことなんて責任を取る必要が無いので、いくら使っても苦しくないのである。

今日もコミさんは彼らが300万で買った嫁とセックスしている間に葬式代を稼ぐために仕事をする訳である。

コミさんは0円でお得である。

お得であるにもかかわらず、300万に負けるということはよっぽど何かが酷いらしい。