良いもの

数の多さが勝つ原理というのはどうも好きになれない。

でも,それが資本主義ってこと。

売れるものが良いものとは限らない。

売れないものに対するまなざしを失ったらその社会はどうなるんだろう?

売れないものに対するまなざしを持てるほどの余裕が無い社会ってそれって人間社会って言えるのかなあ?

ここでいう良いものっていうのはイコール気持ちの良いもの,精神を安定させてくれるものってくらいの意味です。

この社会に根付いてきた良いものについて私は教養として知っているだけで,それを自分の感覚の中で受け入れられるほど,知っている訳では無い。

知る手段というのはあるけれど,それにはとても時間とお金がかかる。

でも,きっとそれらをひとつひとつ丁寧に自分の中の価値観とすり合わせていくことが,私にとっての生きる意味なんだと思う。

たぶん,長く生きれば生きるほど社会の構造だけではなく,その社会がたどってきた軌跡の方にも目が行くようになるし,その軌跡の理解が現状をより良く説明し,納得の行く解釈ができることになるのだと思う。

おそらく,今,私が悲しいとか嬉しいとかいうことを思うのだって,そういう奇跡の上に成り立ってきた価値観に突き動かされた結果だろうし,社会というか対人関係の中で何かしらの感情を抱くよう求められるケースだってままある。そのとき求められるままにその感情を抱くのか,それともその感情を退けるのかという判断にだって,社会の軌跡に対する自分なりの解釈が必要となるだろう。