ホーム・アローンとピタゴラスイッチ

私はキリスト教徒でもないのにクリスマスが近づくとわくわくし始める。その昔、私はNHK教育テレビの信者であったが、クリスマスが近づくとわくわくさんがゴロリといっしょに動くサンタを作り始めたり、えいごであそぼうのお姉さんがツリーの飾り付けを始めたり、とにかくどの番組も樅の木と赤い飾りと星を用意して楽しそうに歌なんかを歌っている。何であんなに皆そわそわ楽しそうにしていたのかが不思議だが、緑と赤の補色が人間の脳みそを興奮させるのかもしれない。そんな私もわくわくしていた。

余談になるが、私は、サンタはケンタッキーフライドチキンを発明した人だと思っていたので、日本にある私の家にアメリカ人のケンタッキーのおじさんが来るはずが無いときちんと理解していた。(しかし、カーネルさんは日本に三度も来てくれたらしい)

「私、昔、サンタさんがいるって信じてて、うちにも来てるって思ってた」なんて言い始める現在20代前半の女は唯の嘘吐きである。順番的にありえない。日本の子供は、クリスマスのプレゼントより先に、サンタの格好をしたカーネルサンダースを近くのケンタッキーの店先で目撃しているはずである。正直な女性との交際を望む男性諸君は注意した方が良い。


さて、ホーム・アローンというのはアメリカの金持ちの家の男の子がクリスマスに一人、家に置き去りにされる何ともわびしい映画である。しかし、流石は開拓者の子孫である。本来なら、わびしいはずの家での生活をかなり楽しいもののように描いている。

いや、こんな風に映画に見られる文化の違いなどのような話をしようと思ったわけではない。ホーム・アローンの主人公の男の子ケビンは進入してきた泥棒に打ち勝つ為に、家の中に色々な仕掛けを作る。その仕掛けが、10歳前後の子供にしてはかなり巧妙なのである。この映画を初めて見た時、私もケビンと同じくらいの年齢だった。この映画を見て私は、同級生のケビンが作る巧妙な仕掛けの才能に強く嫉妬した。もう、クリスマスと泥棒とのやり取りにわくわくしているどころではなかった。こいつ、頭良いくせに遊んでんじゃねーよ!という嫉妬である。きちんと説明すると、私は小学生時分、頭の良い人はその才能をこういう無駄で派手なアクションに費やすべきでは無いと考えていたのだ。才能はもっと他の社会貢献のために費やすべきであって、空き巣程度であれば、隣近所に助けを求めるなりなんなり、最小の消費エネルギーで問題を解決すべきであると考えていた。合理的な小学生であろう。まったく子供らしさの欠片もない。しかし、案外、子供というのはかなり合理的なのである。

なので小学生の私がピタゴラスイッチを見ても、この才能の無駄使いが!と思ったであろう。けれども、ピタゴラスイッチを見たのは、大人になってからだったから、なんて凄いんだ!と素直に感動したのである。