河原の石

突然、川に小石を拾いに行きたくなりました。

 

昔、ネット上で、川に小石を拾いに行く話をしたら、全く知らない人に、その無駄具合が素敵だと褒めてもらえました。

 

小石を拾いながら、これは誰にあげようとかこれは誰っぽい色だとか質感だとか考えます。

 

けれども、石を貰って喜んでくれる人なんてなかなかいないので、ちょっと孤独を感じて悲しくなります。




そんな孤独感を表したような以下の文章。私の孤独とは比べ物にならないくらいの深い孤独感ですが。

 

車谷先生の「赤目四十八瀧心中未遂」からの引用です。




 その夜、風呂屋から帰ると、私は郵便局で求めたはがきを取り出した。先ほど銭湯で目の当たりにしたばかりの悪の輝きに取り憑かれたかのように、誰かに何かを書き送りたいと思うたからだ。併しいざ書く段になると、も早私には書き送る先がなかった。東京の生活を畳んで、僅か三年余である。この三年余のあいだに、私はそういう相手を全て失っていた。日常のあれこれを有りのままに書けば、それはそのまま、相手には私の泣き言としか映らなかった。「私はあなたの泣き言なんか聞きたくないわ。」「きみは好きでそういう生活をしているのではなかったのか。」すでに私はこういう手紙を一再ならず落手していた。つまり、私は以前はそういう人たちとしか付き合っていなかったということだろう。

 

 にも拘らず、私は性懲りもなくはがきを買いに行ったのだった。誰かに何かが書き送りたくて。併しそれは紛れもなく、私が誰かの慰めを求めていたということだ。はがきの表にまず宛名を書き、住所を書き、併しその裏には本文を何も書き得ず、それが次ぎ次ぎに反古になって、郵便局で求めた十枚が尽きた時、沈黙することの安らぎが訪れて来た。あるいはその安らぎを得たいがために、私ははがきを求めに行ったのかも知れなかった。けれども、私はまたぞろ、はがきなり切手なりを求めて郵便局へ行くに違いなかった。隣室で老娼婦が絶望的な声で唱える呪文を心になぞりながら。

 

 

赤目四十八瀧心中未遂

赤目四十八瀧心中未遂